僕は日本大学生産工学部に入学した。
第一志望の国立大学には落ちた。
浪人したいと思ったが、父親は許してくれなかった。
結局、僕は日本大学へ進むことになる。
一年生のキャンパスは、京成線の実籾にあった。
朝、京成線に乗る。
実籾駅で降りる。
駅から大学まで歩く。
それが僕の大学生活の始まりだった。
一年生のとき、学部内のスポーツ大会があり、
僕はバレーボールを選択した。
バレーボールチームには、ゴウちゃんという男がいた。
ゴウちゃんは、都立高校の出身で、
バレーボール部のエースだった。
僕はセッターだった。
ゴウちゃんにトスを上げる。
ゴウちゃんが打つ。
それが僕たちの形だった。
僕たちは、その大会で優勝した。
ゴウちゃんと僕。
エースとセッター。
このときの二人の関係は、今でもよく覚えている。
一年生の頃、僕は渋谷でアルバイトをしていた。
「渋谷の幸ちゃん」という魚料理の店だった。
この店で働くことになったのは、親父の紹介だ。
ただ、店の名前は「幸ちゃん」だったが、幸ちゃん本人はすでに亡くなっていた。
だから、僕が働き始めたときには、幸ちゃんは店にはいなかった。
店の中央には、花板の勇さんがいた。
大きなまな板の前に立って、柳刃包丁を使って刺身を切っていた。
その姿が、とにかく格好よかった。
僕は、この店のまかないが好きだった。
店が終わる頃になると、お客さんが残した刺身がある。
その中から、まだきれいに食べられる部分を大皿に取っておく。
それが、僕たちのまかないだった。
特にシマアジが残っていると、嬉しかった。
店が終わり、掃除などが全部終わると、みんなでその刺身を食べた。
当時は、かなり贅沢なまかないだと思っていた。
味噌汁は、魚のアラや渡り蟹を使って作っていた。
魚のアラで作った味噌汁と、渡り蟹で作った味噌汁。
二種類の味噌汁があった。
味噌汁は、少し多めに作ってくれていて、二種類の残りを合わせると、なんともいえない複雑な味になった。
今でも、あの味は覚えている。
二年生になると、大学のキャンパスは実籾から京成大久保へ変わった。
でも、その頃には、僕の生活の中心はすでに大学ではなくなっていた。
渋谷だった。
渋谷センター街に「子馬」というスナックがあった。
今のセンター街とは、かなり雰囲気が違っていた。
僕はそこで住み込みで働くようになった。
もしかすると、当時、センター街に住んでいたのは僕くらいだったのかもしれない。
店は一階が半地下になっていて、カウンターがあった。
二階にはグループで座れるテーブル席があった。
CDのカラオケもあった。
僕の部屋は三階で、六畳くらいの部屋。
風呂はなかった。
トイレも自分の部屋にはなく、店と共用で、
一階まで降りなければならなかった。
店は夕方六時に開き、夜中の一時頃まで営業していた。
酒はニッカウイスキーが中心で、
ほとんどのお客さんがボトルをキープしていた。
僕はカウンターの中で、水割りを作ったり、簡単な料理を作ったりした。
ママは少し遅れて店に入る。
ほとんど毎日のように着物を着ていた。
気さくな人だった。
お客さんが少ない日は、
「こういう日は、休めってことよ」
と言って、早く店を閉めることもあった。
そんな日は、よく僕を中国料理も店へ連れて行ってくれた。
子馬のお客さんは、NHK関係の人が多かった。
いろいろな部署の人が来た。
父親が店に来ることもあった。
店が終わるのは夜中の一時頃。
そこから片付けや掃除がある。
全部終わる頃には、かなり遅い時間になっていた。
そんな生活をしていると、大学へ行くのがだんだん面倒になった。
「今日くらいいいか。明日は行こう」
そう思う。
そして、次の日も行かない。
また次の日も行かない。
そのうち、本当に大学へ行かなくなった。
気がつけば、三年生を二回やっていた。
つまり、四年生になることができなかった。
大学生活というより、渋谷の夜の生活。
僕の学生生活は、いつの間にかそんなものになっていた。
子馬のお客さんに誘われて、店が終わったあと「バッカス」というクラブへ行くこともあった。
バッカスには、マスターとママがいて、何人か女の子が働いていた。
レーザーディスクのカラオケがあった。
マスターは、よく演歌を歌っていた。
僕は週に二回くらい通った。
大学生だったから、お金はあまりなかった。
それでも、バッカスでは「学割」のような扱いをしてもらっていた。
マスターとママが僕を気に入ってくれていたのだと思う。
安く飲ませてもらった。
女の子が僕の横に座ることは、ほとんどなかった。
ママが相手をしてくれることが多かった。
その中に、マサコという女の子がいた。
小柄で、かわいい子だった。
話もよく合った。
バッカスが終わると、マサコが子馬へ遊びに来ることがあった。
そして、僕と話をする。
そんなことが何度か続いた。
あるとき、マサコは僕の三階の部屋まで来た。
そして、僕の腕枕で一時間くらい眠った。
それから帰っていった。
そんなことが、ほとんど毎日のようにあった。
でも、マサコはSEXを拒んだ。
僕は、なぜなのかわからなかった。
後になって、マサコには一緒に暮らしている男性がいることを知った。
なぜ僕のところへ来ていたのか。
今でも、本当のところはわからない。
もしかしたら、何か帰りたくない理由があったのかもしれない。
ただ、それも僕の想像でしかない。
一年ほどすると、マサコはバッカスを辞めた。
それから、連絡が取れなくなった。
マサコがいなくなったあと、バッカスの女の子が、子馬へ来ることがあった。
その子の名前は、ここではミホとしておく。
ミホは、店が終わったあとに子馬へ来ることがあった。
忙しいときには、店を手伝ってくれた。
特にママが休みの日。
二階に団体のお客さんが入ったりすると、僕一人では大変だった。
そんなとき、ミホが手伝ってくれた。
僕は、特に深く考えていなかった。
ある日、ママが休みで、お客さんも来なかった。
すると、突然バッカスのマスターがやってきた。
カウンターに座り、ビールを注文した。
そして、一気に飲み干した。
僕を見て言った。
「ミホに店を手伝わせているだろう」
そして、
「飲み屋の仁義に外れたことやんなよ」
と言った。
さらに、
「しめるぞ」
とまで言われた。
僕が何か変なことをしていると思われたのだ。
「そういうことをやるなら、子馬をつぶすぞ!」
そんなことまで言われた。
僕は謝った。
自分としては、ただ手伝ってもらっていただけだった。
でも、飲み屋には飲み屋の世界がある。
僕は、それを知らなかった。
「今度やったら許さないからな」
そう言って、マスターは帰っていった。
翌日、僕はバッカスへ行ってマスターに謝った。
マスターが許してくれたのかどうかは、わからない。
でも、マスターはその後も僕に対して、それまでと同じように接してくれた。
それが、僕には嬉しかった。
子馬では、ときどきお客さんのためのイベントがあった。
その中でも特に楽しかったのが、屋形船だった。
ママが僕に言った。
「徹くん、屋形船でなにかやりなさいよ」
僕が、
「何をやればいいんですか?」
と聞くと、
「女装なんていいんじゃない?」
と言った。
さらに、
「娘の着なくなったセーラー服があるから、それを着なさい」
と言った。
僕は、こういうことが嫌いではなかった。
面白そうだったので、やることにした。
屋形船の中でママが化粧をしてくれて、セーラー服に着替えた。
そして、みんなの前に出た。
カラオケも歌った。
大いに盛り上がった。
屋形船が終わったあとも、僕はセーラー服のままだった。
そのままタクシーに乗せられて、渋谷へ戻った。
最初に、小料理屋へ入った。
ママが僕に言った。
「絶対にしゃべっちゃ駄目よ」
僕は黙っていた。
その店では、僕は普通の高校生の女の子ということになった。
ママは、僕を常連客の娘というように紹介した。
誰も僕が男だとは思わなかった。
その後、バッカスへ行った。
子馬のママが僕の化粧を直してくれた。
そして、また、
「絶対にしゃべっちゃ駄目よ」
と言った。
バッカスでセーラー服は、さすがにヤナイ。
そこで、子馬のママがバッカスのマスターにだけ、
「あれ、徹くんだから」
と小さな声で教えた。
マスターだけは、僕だと知っていた。
でも、ほかの女の子たちは気づかなかった。
バッカスのママも気づかなかった。
僕は、ひたすら黙って酒を飲んだ。
しゃべれないので、少しイライラした。
でも、子馬のママは楽しそうだった。
セーラー服を着て行った小料理屋には、十六歳のフィリピン人の女の子がいた。
かわいい娘で、少し日本語を話した。
近いうちに日本人の男性と結婚する予定だという。
その娘は、セーラー服の僕を女の子だと思っていた。
ものすごく驚いていた。
僕が、
「あれ、僕だよ」
と言うと、さらに驚いた。
そして、
「今度、一緒に飲みたい」
と言った。
その後、彼女と飲む機会があった。
すると、突然、彼女が泣き出した。
そして僕に、
「抱いてほしい」
と言った。
僕は少し迷った。
でも、結局、彼女とホテルへ行った。
グラマラスで、柔らかかった。
僕が子馬へ戻ったのは、店の開店時間を過ぎてからだった。
ママは僕を見るなり言った。
「あなた、ホテルに行っていたでしょう」
僕は驚いた。
さらにママは、
「ホテルのシャンプーの香りがする」
と言った。
そして、
「あのフィリピンの娘だね」
と言った。
僕は、そこまでわかるのかと驚いた。
でも、ママは怒っていた。
「開店時間を守らないと追い出すからね!」
僕は何も言えなかった。
彼女とは、それから会っていない。
予定どおり、日本人の男性と結婚したのだと思う。
もしかしたら、これから結婚する相手を愛していたわけではなく、結婚する前に、自分の中に何か思い出を残したかったのかもしれない。
でも、それも僕の想像でしかない。
そして、この屋形船の日に、バッカスにいた女の子の中に、美紀という子がいた。
たぶん、あの日が僕と美紀の初めての出会いだった。
後になって、僕がバッカスへ行ったとき、美紀とまた会った。
彼女は、あのセーラー服の女の子のことを覚えていた。
僕は、あの日のことを全部話した。
そして、
「あれ、僕だよ」
と言った。
美紀は、ものすごく驚いた。
そこから、僕たちはだんだん親しくなっていった。
美紀は、美容師になりたくて上京し、中野にある専門学校に通っていた。
一人暮らしをしていて、東急東横線沿線に住んでいた。
この出会いが、後に僕たちが一緒に暮らし、そして結婚することにつながっていく。
でも、このときの僕には、まだわからなかった。
もし、あの日、子馬のママが「女装なんていいんじゃない?」と言わなかったら。
僕が「面白そうだ」と思って、セーラー服を着なかったら。
美紀との出会いもなかったかもしれない。
でも、それはまだ、もう少し先の話だ。