世田谷区立富士中学校までは、一キロほどあった。

歩けば二十分くらい。

下北沢という街は平らに見えるが、実際には坂が多い。

特に学校へ向かう道はきつかった。

朝からずっと上り坂なのだ。

雨の日は嫌だった。

濡れたアスファルトは滑るし、冬になると手がかじかむ。

吐く息も白い。

それでも僕は、毎朝その坂を登っていた。


中学一年の頃、僕は帰宅部だった。

その頃から視力が急激に悪くなり始める。

黒板の字が見えない。

でも、見えないことを認めたくなかった。

子供というのは案外そういうものだ。

見えないと言った瞬間、自分が弱くなってしまう気がする。

だから前の席のノートを盗み見た。

目を細めた。

それでも何とかなると思っていた。

実際には、ほとんど見えていなかったのだけれど。

サッカーも諦めた。

本当は好きだった。

でもボールとの距離感が合わない。

見えているつもりなのにズレる。

空振りする。

その感覚が怖かった。


体育の授業でサッカーをしていた時だった。

相手と接触し、右足を痛めた。

中指が痛い。

靴下も脱げない。

血も出ている。

それでも、

「切っただけだろ」

くらいにしか思わなかった。

保健室へ行ったが先生がいない。

仕方なく、そのまま授業を受けた。

今思えばかなり異常だ。

でも当時は、それくらい我慢するのが普通だった。

時間が経つにつれて痛みは増していく。

帰る頃には、もうまともに歩けなかった。

その時だった。

春木くんが言った。

「おぶってやるよ」

春木くんは大きかった。

中学生なのに百八十センチを超えていた。

肩幅も広く、バレーボール部のエース候補だった。

僕はその大きな背中におぶわれた。

家までの道は長い。

下り坂が多いとはいえ、一キロ以上ある。

それでも春木くんは文句ひとつ言わなかった。

背中の揺れを、今でも覚えている。

病院へ行くと複雑骨折だった。

骨が折れ、皮膚を突き破っていた。

医者は怒鳴った。

「なんですぐ来なかった!」

当然だと思う。

でも僕は、

「保健室に先生がいなかったから」

とは言えなかった。

二か月近く、ギブスと松葉杖の生活になった。

階段は大変だった。

風呂も面倒だった。

けれど、その頃から僕はバレーボールに夢中になっていく。

春木くんの影響だった。


当時のバレーボールは人気スポーツだった。

テレビでもよく放送されていた。

猫田勝敏の天井サーブは特に印象に残っている。

ボールが体育館の天井近くまで舞い上がる。

あれが格好良かった。

球技大会で、僕はその真似をした。

意外と入る。

相手も取りづらい。

それで優勝に貢献できた。

嬉しかった。

中学二年になると、僕もバレーボール部へ入った。

春木くんは、すでにエースだった。

身長は百八十四センチ。

別の生き物みたいだった。

当時の僕は小柄だったが、それでもバレー部にいるのが楽しかった。

汗臭い体育館。

ワックスの匂い。

床に落ちるボールの音。

全部が好きだった。


担任の高橋先生は技術の教師だった。

ホンダのCB50で通勤していた。

そのエンジン音が格好良かった。

学校へ近づいてくると、

バリバリバリ――

と独特のツーストロークの音が聞こえる。

「あ、高橋先生だ」

すぐにわかった。

怒ると怖い。

でも熱い先生だった。

バレー部の顧問でもあった。

今思えば、不器用な人だったのかもしれない。

それでも生徒のことを真剣に見ていた。

後に僕が、

「技術の先生になりたい」

と思うようになるのは、間違いなく高橋先生の影響だった。


ボクシングに夢中になったのも、その頃だった。

テレビでは具志堅用高がヒーローだった。

試合が始まると、みんなテレビの前に集まった。

僕たちはバレーボールの足サポーターをグローブ代わりにして殴り合った。

特に春木くんとの対戦は面白かった。

無差別級である。

リーチ差がありすぎる。

僕はボディしか届かない。

それでも燃えた。

本気で避け、本気で殴る。

ただの遊びなのに、みんな本気だった。

今思えば危険だ。

でも当時の男子中学生は、少し壊れていたくらいが普通だった。


中学一年の頃から、稲村さんが好きだった。

陸上部だったと思う。

坂本くんの家へ遊びに行った時、

「稲村の家、近いよ」

と言われた。

場所を教えてもらった。

彼女の家は小高い丘の下にあった。

僕は丘の上から、その家を見ていた。

今思えばかなり危ない。

でも当時の僕は、恋愛というものが何なのかもわかっていなかった。

ただ好きな子を見たかった。

それだけだった。

稲村さんが外へ出てきた。

小さな子供たちと遊んでいた。

僕は丘の上から手を振った。

でも反応はなかった。

目の悪かった僕は、

「気づいていないんだな」

と思っていた。

翌日、安西先生に呼び出された。

若い英語教師だった。

バレー部の副顧問でもある。

先生は静かな口調で言った。

「お前、稲村の家へ行っただろ」

稲村さんが相談したのだ。

怖い、と。

その瞬間、頭が真っ白になった。

悪いことをしたという感覚が、初めてそこで生まれた。

今なら完全にストーカーだ。

でも当時の僕は、本当にそこまで悪いことだとは思っていなかった。

安西先生は、

「もう行くな」

とだけ言った。

僕は黙ってうなずいた。

あの時の恥ずかしさは、今でも覚えている。


中学生になると、塾へ通うようになった。

日本教育学院だった。

数学と国語を習っていた。

成績は、それほど上がらなかった。

でも塾は楽しかった。

違う学校の友達ができたからだ。

国語の村上先生は特によく覚えている。

話が面白かった。

ただ文章を読むだけではない。

「この作者は、なんでこう書いたと思う?」

と聞いてくる。

僕は国語が得意ではなかった。

それでも、文章を読む面白さを知ったのは、たぶんあの頃だった。

高校卒業後、塾の同窓会のような集まりを開いたことがある。

大学生になってからだったと思う。

酒も入っていた。

村上先生は本当に嬉しそうだった。

「卒業生が集まるなんて初めてだ」

と言っていた。

先生という仕事は、案外そういう瞬間のためにあるのかもしれない。


中学三年になると、インベーダーゲームが大流行した。

ゲームセンターへ入り浸る。

店の中にはテーブル筐体がずらりと並んでいた。

ピコピコという電子音が鳴り続ける。

あちこちから歓声が上がる。

みんな夢中だった。

あれはもう、一つの社会現象だった。

だが、中学生に百円は高い。

そこで僕たちは「五円玉インベーダー」を覚える。

五円玉を重ねる。

セロテープで巻く。

百円玉くらいの大きさにする。

あるいは返却レバーを操作しながら投入する。

すると、

チャリン。

ゲームが始まる。

百円で二十回近く遊べた。

もちろん、その五円玉は親の貯金箱から失敬したものだった。

父は五十円玉。

母は五円玉を集めていた。

僕は、その場所を知っていた。

ある日、母が言った。

「こんな五円玉まで持っていくなんて……」

父が持っていったと思っていたのだろう。

僕は黙っていた。

言えなかった。

罪悪感がなかったわけではない。

でも、その頃の僕には、

「次は何点出せるだろう」

という気持ちの方が大きかった。

やがて僕は百万点プレーヤーになった。

ゲーム開始から二時間以上。

後ろにはギャラリーが集まる。

知らない人たちが見守っている。

そして百万点を超えた瞬間、拍手が起きた。

僕はヒーローだった。

盗んだ五円玉で。

だからこそ、その拍手は少し苦かった。


その頃になると、家の空気ははっきり壊れていた。

父はほとんど帰ってこない。

帰ってきても会話がない。

母は無口になる。

父は新聞を広げる。

テレビだけが喋っていた。

夜になると電話が鳴る。

無言電話だった。

何度も鳴る。

夜中にも鳴る。

受話器を外しておくと、電話会社の警告音が鳴り響いた。

母は、ついに電話線を切った。

今のようなモジュラー式ではない。

銅線を直接つなぐ時代だった。

僕は直そうとした。

被覆をむく。

銅線をつなぐ。

その瞬間、ビリッと感電した。

かなり痛かった。

でも少し嬉しかった。

自分で直せた。

そんな気持ちがあった。


母は、もう限界だったのだと思う。

でも、その頃の僕には、大人の事情なんてわからなかった。

ただ、家の中が静かだった。

静かすぎた。

笑い声がなくなっていた。


ある日、父が言った。

「遊園地行くぞ」

そこで長谷川一家と出会った。

晴美さんと、その子供たち。

真由。

拓也。

千夏。

里奈。

兄弟のいなかった僕には、すべてが新鮮だった。

騒がしい食卓。

誰かが喋っている。

誰かが笑っている。

それだけで別世界だった。

家族というものが、こんなにも賑やかなものだとは知らなかった。

そして真由は可愛かった。

僕は高校受験を控えていた。

それなのに頭の中は、

「兄弟がいる生活って、こんな感じなんだ」

という不思議な憧れでいっぱいだった。

その出会いが、僕の人生を大きく変えていくことになる。

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